1990年代末、日産自動車は約2.5兆円の有利子負債で危機に陥ったが、ルノーの支援とゴーン改革で日産リバイバル・プランを実行。大規模リストラと工場閉鎖により計画を前倒し達成した。
1990年代末、日産自動車は提携・買収の機会を問われるほど窮地に陥り、1999年3月期末の有利子負債は約2兆4815億円、車事業の負担も大きかった。これにより倒産寸前の状況に追い込まれた。
窮地を救ったのは仏ルノーによる資本提携で、同社は日産株式を約5857億円で取得し、36.8%の株式を保有して経営権を握った。ルノーはゴーン氏を日産の最高執行責任者として送り込み、日産リバイバル・プランを発表させた。
ゴーン氏は1999年10月18日に同計画を公表し、利益と期間の目標を必達目標として提示、思い切った人員削減と工場閉鎖を伴うリストラを断行した。
2000年に日産の社長に就任したゴーン氏は、2001年からCEOも兼務する体制を取り、計画の達成を進めた。結果として、計画は1年前倒しで達成され、日産はグローバルな競争力を高める転換を果たした。