1988年頃、日本IBMの企画部にいたライターのゼロ・ハリらがアイ・オー・データ機器にIBM機用増設メモリーの製品化を依頼。これがIBMの専用カタログ掲載や新しい販売体制につながり、DOS/V以前の周辺機器が世界標準へ向かう流れを支えた。アイオーデータの50周年を受け、その歴史的役割を振り返る。
1988年頃、日本IBMのパソコン製品企画部門に勤めるゼロ・ハリと友人Hは、アイ・オー・データ機器へIBM機用の増設メモリーの製作を依頼した。これは、IBMが個人向けパソコン市場へ再挑戦する局面での、周辺機器の選択肢を広げる試みの一環だった。
アイ・オー・データはこの依頼を受け、増設メモリーの製品化を決定。社内の理解を得たうえで、2人の説明が海外ソフトやツールの利便性を示す実例として活用された。最終的に同社のメモリーはIBMの専用カタログに掲載され、IBMの営業が他社製品を販売できる新たな仕組みが生まれた。
この動きは、後にサウンドボードなど他社製ハードウェアをIBM機へ取り込む道を開く契機にもなり、1990年にDOS/Vの普及へとつながる流れを後押しした。日本IBMが世界標準へ向かう道の足元を固める一助となった、ささやかながら重要な出来事だった。
振り返れば、アイ・オー・データは純正品に対する壁を崩し、ユーザーの自己資金による購入を支える体制構築に貢献した。50周年を迎える同社の歴史には、このような現場レベルの協力と革新が刻まれている。