本多慧氏が洋ゲー黎明期の日本展開について語る。ダンジョンマスターやウルティマ オンライン、FIFAなどの日本市場への移植・ローカライズの舞台裏と、EAビクター、アイドス、日本企業との協業を振り返る。
海外ゲームを日本へ届けるには翻訳以上の努力が必要だった時代、音楽業界からゲーム事業へ転じた本多慧氏が、日本市場の創出に関わった経緯を振り返る。Apple II時代の個人と企業の接点から始まり、1983年にPS制作課長としてゲーム事業を立ち上げた。
『ダンジョンマスター』の日本展開ではバグ対策と品質管理を現地と綿密に調整し、カルチャライズとソースコードの提供交渉を通じて日本市場へ適合させた。ルーカスフィルムとの共同ブランド案や、日本の市場特性を踏まえた翻訳・ローカライズの重要性を強調した。
EAビクター時代には『ウルティマ オンライン』や『FIFA』などのタイトルを日本へ持ち込み、Origin Systems買収などの戦略を展開。OriginやMaxisなどの買収後の組織運用や長期的なブランド戦略を語る。
アイドス日本法人設立ではトゥームレイダーの日本展開を主導し、ドラゴンクエストのローカライズ見直しや日本向けオリジナル作品の開発を推進した。日本市場に合わせた協業パートナー選定や、アジア展開の拡大も振り返る。
ローカライズの難しさは時代・地域で異なり、言語だけでなく文化・慣習を理解することが不可欠だった。バグや仕様差、配信・価格設定の調整など、日本の品質基準に合わせた対応が success の鍵となった。